【栗城史多さんを批判していた】服部文祥さん(登山家)に学ぶ「命を食べること」

服部文祥さんに学ぶ「命を食べること」

登山家・服部文祥(はっとりぶんしょう)さんのニュースを紹介します。

何となく日々を暮らしていては見過ごしてしまいそうなのが、食事。

服部文祥さんのニュースを読んで、食べることって他の命を食べて、自分の命をつなぐことなんだなあと実感しました。

服部さんの「生き物をとって殺して食べ、登山をする。生きている実感を得る」考え方について書いています。

【登山家栗城史多さんを批判】服部文祥さんは辛口な人

今年5月に登山家の栗城史多(くりきのぶかず)さんが、エベレスト下山中に亡くなった事件がありました。35歳でした。多くの人から好かれて、とても素晴らしい人だったということです。

しかし、たくさんの人から応援されて、無謀な挑戦をし続けた結果だという話もあります。

そんな登山家の栗城史多さんを批判していた、登山家の服部文祥さん。

千原ジュニアさん司会の番組「ナダールの穴」では、

「マラソンに例えると栗城君は市民ランナー」

「(栗城君は)登山家としては、3.5流」

となかなか厳しく言ってます。。

そして、栗城史多さんが亡くなってから、服部文祥さんのTwitterのフォロワーが増えたとか。

もしかしたら服部さんが本質を突いていた部分があったのかもしれません。

服部文祥さんの自然観「自分が生きていることを実感するため」

栗城さんの自然観
そもそも、職業として「登山家」ってどんな考え方を持っているんでしょう?

私は服部さんの考え方を知るまで、誰も登っていない山に登った達成感。征服感かなと思っていました。

服部文祥さんは、命を食べることで生きていることを実感するそうです。

サバイバルをしながら登山をしていくスタイル。

身の回り品くらいの荷物を持って山に登り、生き物をとって殺し、寝泊まりする場所を探し、焚き火用の薪を集めてくる。

服部さんの言葉には、実践者だからこそ出てくる表現を感じます。

サバイバル登山家、会社員、作家——野生動物のように本能で挑みつづける服部文祥の人生論

人間も自然の一部だと考えています」

「山で狩りをすると、生き物を自分の力で獲って、殺して食べますよね。つまり、生きるとは他の生物の命をいただくことなのだと、リアルに実感できるのです」

記事の内容をざっくり紹介します。

学生時代から山に登って、26才で標高世界第2位の登山に成功。

最小限の装備で山に登って、食べるものは山の中で調達する「サバイバル登山」と名付け、実践。現在は、山岳雑誌の編集者、小説家として活動されています。

ひと月の半分は山に登り、月のもう半分はその経験をもとに雑誌の編集の仕事をしている。やりたいことを中心に生活をしているそうです。

自然の中での釣りや狩りと、都会での文章表現が文祥さんの人生で重要な要素。

服部さんの登山への魅力の変化。栗城史多さんへの批判の原因の一つかも

若い頃の服部さんは、大きな山を達成することに命を燃やしていたそうです。

しかし、歳を重ねて自分の体力と向き合い家族を持ち、「リスクをかけてやるべきことかどうか」冷静に分析。

現在は、自然の中で、自分を動かすことが大切だと考えている。

自然に入って、自分がイメージしている登山ができているかどうかを試す。自分の限界に向き合いながら自由を感じる。

「命を投げ出すようなリスクを冒す登山」が全てではなく、「命と向き合う登山」へ。

上に書いた、栗城史多さんを批判したのは、命を投げ出しているような登山をしていたからかもしれません。

服部さんの考え方「自然の一部として命を食べる」

自然の一部として命を食べる

服部文祥さんは、自然と人間社会を行き来して、野生動物のように生きたいと考え都市の郊外でサバイバルを楽しんでいる。

生き物を自分の力で捕らえて、殺して食べる。生きるとは他の生物の命をいただくことなのだと、リアルに実感できるのだそうです。

寝泊まり、焚き火の薪 生きるためにする行為こそ五感が刺激される。

そして、そんなライフスタイルに不可欠なものは自分が本来持っている身体能力をいつでも全て引き出せる状態、体力・健康。

寝不足や肥満、運動不足はNG。情熱があっても体力がないと何事も続かない。

あとは、自分の行動を客観的に評価する目を持つ。

自分の登山や文章表現がちゃんと価値を持つものであるかということを、自分の欲は一旦横において、冷静に分析する。

自分の生活で想像してみた。命を食べること

命を食べることについて考える

スーパーやコンビニに行けば食べ物が簡単に手に入る社会ですが、人間ってもともと自然の一部っていうのを忘れないようにしたい。

今日私はカップラーメンを食べました。

いつもなら「醤油味うまいなあ」くらいにしか思いません。カップラーメンのパッケージに醤油味って書いてあるし、写真も美味しそう。お湯を注げば醤油色。

醤油の味を麺と一緒に口に流し込んで終わり。

それでは味気ないので、服部文祥さんの記事に影響を受け、カップラーメンにはもともとどんな命があったかを書いてみました。

  • 麺は小麦から作られていて
  • メンマは「タケノコを乳酸発酵させたもの」(知らなかった!)
  • ナルトは魚のすり身
  • ノリは海藻
  • ネギは野菜のネギ
  • 醤油は大豆からできている

特にメンマは何気なく食べていたけど、タケノコだったんだね。

カップラーメンだと、具材が小さく細かく加工してあるので、意識しづらい。カップ麺の中に5つ6つ命が入っています。

食べ物が生きていたことを実感するのは大事だなあと思います。

妻夫木聡さん主演の「豚がいた教室」という2008年の映画がありました。小学校で育てたブタをみんなで食べるかどうか小学生が議論するという話。

人間って命のある生き物以外を食べて生きるのは、なかなか難しい。命を食べていることを意識し、生きていることを実感するのは、モノの見方を少し豊かにする気がします。

最後に:服部さんの考え方から、あらためて「命を食べている」ことを意識

自然の中に生きて、食べることで命を受け取って活動して排泄して、新しい命のタネになる。

自分も自然の一部だと意識しておきたいと思いました。

以上です、最後まで読んでいただきありがとうございます。